THE STREET BEATSは'’84年5月広島で誕生した。最初の半年は薄暗くカビくさい地下室のようなシケたスタジオでひたすらリハ−サルを繰り返した。SEIZIがギタ−を手にし、どうにか初めて人前でプレイする事ができるようになったのは、翌’86年2月の事だった。ホ−ムグランドは広島ウディストリ−ト。俺達は、今思えばまったく驚くほどのスピ−ドで曲を書き、音を固め、動員を増やし、半年のうちには小屋を満杯にし、”広島No.1のビ−トバンド”と称されるようにもなっていた。が、しょせんは田舎の狭い街での出来事。勝負するにはやはり東京の連中を前に演る必要があった。何度かメンバ−チェンジを重ね’87年3月にICHIKAWAとSHOJIのリズム隊が加入した。このメンツになってからライブはさらにヒ−トアップし失神者が出たり会場に入れないファンが裏通りを埋め尽くしたりという事もザラに起きるようになった。荒っぽく若い広島人気質まる出しのファンの連中の期待が大きくなってきているのを肌で感じてもいた。俺はビ−ツを世に出したかった。’87年の夏、俺はそれまでに作った自主カセットやライブビデオ、プロフィ−ル等を バッグ一杯に抱え単身東京に行った。インディ−ズショップを回り、レコ−ド会社やマスコミに乗り込んだ。彼らのリアクションは俺の自信を更に大きな確信へと変えるのに充分だった。その秋、初めて東京、大阪を含むツア−を決行した。マスコミにもいくつか紹介され始め、メジャ−レ−ベルからの話が一度に幾つも舞い込むようになった。その頃の俺達はもちろん東京に住む所もなく、落書きだらけの楽器車で走り回る日々を繰り返していた。初のツア−を終えた’87年暮れ、”FOR THE BEATNIKS!”というタイトルで自主ライブを演った。いつものライブハウスの倍の客が入ったその思い出深いライブで俺は”ビ−ツは広島を離れ東京に出る”事を宣言した。歓喜と悲鳴が入り混じった大きな歓声が俺達を包み込んだ。

「BEATNIK ROCKER」は翌’88年2月に東京、スタ−シップスタジオで制作され、4月に”太陽レコ−ド”から6曲入りミニアルバムとしてリリ−スされた。新宿ロフトや渋谷ライブインでワンマンライブを演れるようになったのもこの頃だ。ビクタ−との契約が成立し、その後様々な事情でリズム隊が抜け、俺とSEIZIは2人だけで上京する事を決めた。つまりこの最初で最後の自主制作盤「BEATNIK ROCKER」は、’85年2月から数えて丸3年間の”広島時代”最後の作品という事になった。と同時にメジャ−進攻への宣戦布告ともなった。リリ−スから一ヶ月後の’88年5月、俺達は生まれた街を離れた。俺は「約束できない」で歌ったとおりの22歳、SEIZIは20歳になる直前だった。

’89年の夏頃から’90年の初頭にかけて俺達はいくつのもトラブルにつきまとわれた。膨らみ過ぎた人間関係の歪み、利害、マネジメントとのトラブル、リズム隊の脱退・・・。裸になった俺達は垂れ込めた雲を払い一刻も早くまた走り出したかった。丸腰じゃない。俺達にはロックンロ−ルという武器がある。SEIZIと二人で曲作りを始め、広島からICHIKAWAを呼び、毎日のようにリハ−サルを繰り返した。まるでビ−ツをやり始めた最初のように。がむしゃらに音をたたきつけた。衝動、反骨心・・・失くなるどころかそいつらはもっと激しく俺達を揺さぶり心を射ち抜いた。
「BARRIER CRASH」が生まれ、そしてアルバム「STANDING STANDING」が生まれた。このアルバムは俺達自身にも勇気やパワ−を与えてくれた。ビ−ツは再生し、以前よりももっと強靭になって走り始めた。1991年。ビ−ツは再びφKI、SEIZI、ICHIKAWA、SHOJIというメンツに戻り、全国をサ−キットし続けた。今、このアルバム「BEATNIK ROCKER」をリリ−スするのは、今こそ
”俺達がTHE STREET BEATSだ”と胸を張って名乗りたい気持ちに溢れているからだ。このアルバムに収めた曲達はどれも俺達自身を熱くさせてくれる、色あせないタフなナンバ−だ。スティ−ブ・ナイのリミックスによってより太く、タフな音になった。もしこの俺が、すべての事に疑問や怒り、喜びや切なさ、理想・・・何の感情も持てなくならない限り、俺の歌が終わりを迎える事はないだろう。そして俺達の音−−レベル・ミュ−ジックとしてのロックンロ−ルが鳴り止む事はないだろう。俺達とおまえ達のために。
---by OKI Oct 23th, 1991

5年前のベスト盤にこんな事をかいていた。
「もしこの俺が、すべての事に疑問や怒り、喜びや切なさ、理想・・・何の感情も持てなくならない限り、俺の歌が終わりを迎える事はないだろう。そして俺達の音−−レベル・ミュ−ジックとしてのロックンロ−ルが鳴り止む事はないだろう。俺達とおまえ達のために。」
時が経ち今日も俺達は歌い音を鳴らしている。
より強く、太く、ざらざらと。
激動と模索の中で作っては壊し、壊してはまた作る。
イメ−ジの海を泳ぎ、時にたれこめるどんよりとした雲を払い
俺達は探す。自分の行き先を。正体を。本当の自分を。
俺達の歌はすべてそんな終わらない旅を続ける精神の旅人の詩なんだ。
漂い漂いゆらめきながら常に原始の衝動のまま。
ざっくり切ったら真っ赤な血が出るまっすぐな音。
鳴らし続けよう。
歌い続けよう。
終わらない旅。ベストマインドを求めて。
OKI & SEIZI
Oct. 1996

十代の終わりにTHE STREET BEATSを結成してから20年という月日が流れた。あの黒いギターを手にした遠い日から、俺達の長い旅が始まった。
まだ青く押さなかった俺達を虜にした、レベルミュージックとしてのロックンロール。そう、”反逆の詩”を俺達は愛し、歌い、音を鳴らし続けてきた。
時には強い向かい風や、目の前に立ちはだかる高い壁にぶち当たる事もあったが、それでもけして俺達の音が鳴り止む事はなかった。
今も俺達を衝き動かしてやまない衝動、ロックへの愛情や情熱、己の人生を自分のものとして自分らしく生きていきたいという願い、昨日の自分より少しだけはましになりたいという想い、・・・そういったもの全てが俺を前に向かわせ、歌を作らせ、俺達に音を鳴らし続けさせてきた。
誰かに目隠しをされてここまで連れてこられたわけじゃない。自分で選んだ道を歩いてきた。人生には終着駅というものがあるのが当然なのだろうが、OK、それならばいっそこのまま行ける所までこの道を行き、この先に何があるのか、どこに辿り着くのか、確かめてやろうじゃないか。この素晴らしい衝動に満ちたロックンロールという名の長い旅をとことん楽しんでやろうじゃないか。誰も皆人生は一度きり。それぞれ同じものはなく、誰もが自分の人生を歩く。良い風が吹く日もあれば、時には逆風に晒される事もあるだろう。強くなれ。負けるな。心を折るな。心が折れそうな時は、握った拳に力を込めて自分の心を奮い立たせることさ。拳は誰かに振り下ろす為のものじゃなく自分の人生と格闘する為のものだ。
ロックンロール・イズ・マイ・ライフ。心が震えるような最高の歌を歌いたい。魂を震わすような最高の音を鳴らしたい。これからもただまっすぐに俺達は歌い、音を鳴らし続けるだろう。俺達の長い旅はまだまだ終わりそうもない。
THE STREET BEATS   OKI
Feb. 2004



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